2014/02/13

私は如何にCHEMISTRYの活動休止による喪失感を乗り越えたか

 最近ようやく「あれはケミロスだったのだなぁ」と思うようになってきました。
 活動休止しても、ソロ活動になっても、それぞれ応援するよ☆、などと口では言いつつも、10年以上生きる活力の源になっていたCHEMISTRYの活動休止は、非常に自分にダメージを与えていたのです。
 ややこしいことに、彼らの音楽を聴く機会が減ったのも、その弱りに拍車をかけました。彼らの音楽を聴くことで毎日生き延びていたのに、聞いたら『なんで活動休止するんだ!』という恨み辛みがわいてきて、あまり聞けなくなっていたので、必然栄養が不足していったのです。


 ずいぶん時間はかかりましたが、2つのことが決定的となりました。


  • 堂珍くんのFCはとりあえず継続しない
  • ミュージカル『愛の唄を歌おう』を観た


 FCを継続する時期になったころ、たいそう悩んでいました。継続していたらしていたで、文句を言う権利を得るみたいな感じになって、活動を追いかけたいし応援したいけど、見たらストレスが増える、というので変な悪循環に陥っており、究極のところ、「一度辞めればいいんじゃないか」と思い切りました。やめてもツイッターで情報はたいてい追えるのですが。いったん距離を置くという効果は非常に大きかったです。
 
 そもそも私は非常に堂珍くんのファンでした。あの圧倒的な歌唱力と、やはりビジュアルも好きです。ものすごい美形ぷりも、あの観客と目をあわそうとしない歌い方も、トークがゆるゆるぽつぽつで天然なのも、好きでした。それがソロになってからは、あっという間に非常な葛藤を強いられました。主な原因は、彼の言動です。

 私はミュージシャンのインタビューなど、歌以外の言葉を深く読まない、理解しないほうです。そもそも、ミュージシャンが音楽について言葉をつくす必要ある?、と思っています。音楽で表現するためにミュージシャンやってるのに、なぜ言葉で説明されることを要求されるのか。そんなことあまりできなくていいです。ラジオなどにでていても、曲の解説とかあまりきいてません(ごめんな)。
 しかしそうすると、堂珍くんも要っちも、実際はどういう人なのか、人柄などは、なかなか知るところになりません。人気がですぎたので、プライベートなことはあまり話せないし。また、私の興味のあるところではありませんでした。FCなどでは文章ではなくもっぱら写真を期待してました。オフショットから、こういう感じなのかな〜とぼんやり考えるぐらいが平和でした。
 むしろあまり知りたくなくて、舞台の上、ステージの上で、いかにクオリティの高い音楽を聴かせてくれるか、見せてくれるか、なるべくそれで彼らを評価したいし応援したいと思っていました。

 ソロになった直後、堂珍くんはそれまでのイメージを覆すためか、うっぷんをはらすためか、プロモーションのためか、いろんなインタビューでいっきにしゃべくりました。堂珍くんは口べたですが、自分の饒舌になれる分野では良くしゃべるというのは、ファンでは知られている話です。そのインタビューには、長年のCHEMISTRYファンを怒らせる、不快にさせるのに十分なものもありました。今後のソロ活動のプラスになるのそれ?、な本音をいってしまう堂珍くんは、そこが人となりの魅力でありかつ残念なところでありました。

 でもインタビューはいわば場外活動、いろいろ不注意な誤解されやすい発言をしていても、なるべく音楽自体で評価したい、好き嫌いを決めたいと考えます、願います。
 だがしかし。好みの問題で、彼のソロの音楽は1,2割ぐらいしか、良いとか好きと思えません。CHEMISTRYのときみたいに、「全部好き」がちょっとおかしい。アルバムなんて、どうでもいい曲が少しは混ざっているのが普通なものです。でも、「どうでもいい」を超えて「これは聞かない」というようなものまであるのは、大変でした。
 矛盾の塊ですが、「好きな人がやる音楽だから、聞きたい。けど聞けない」というふられても好きな人、みたいなゆがんだ恋心なストレスでした。

 FCの継続をやめ、しかしまだこのような悶々を抱えたまま、ほとんど期待せず(出番時間的に)、ミュージカル『愛の唄を歌おう』を観に行きました。
 私はそこで、要さんの出番の多さと歌のうまさに驚嘆すると同時に、久しぶりに、CHEMISTRYのライブを見たときのような高揚感とか感動を味わいました。
 それはまずは単純に規模の問題です。あぁ、自分はこういうキラキラした圧倒的なステージを期待していたから、どちらのソロにいっても微妙なストレスを感じていたんだなぁー、と思いました。小さいライブハウスは、彼らにはやはり似合いません。でかい箱ばかりが良いわけではないですが、彼らの声は、大きな会場を満たすことができる声なのです。要さんの歌は、まさに、そのCHEMISTRYらしさを久しぶりにみた感じがしました。
 
 またもう一つの、より大きな出来事は、世の中たくさんの音楽があるし、たくさんの良い歌手がいるじゃないか、という気づきでした。マッキーの音楽が良いこと、好きなことは知っていたけどちゃんと聞いていなかった。ポップス(j-popではなく)が劣勢の時代だけど、CHEMISTRYのように、ポップスを歌う、歌える、歌いうる人たちが、ちゃんと居たのに気づいていなかった。
 そして、マッキーのアルバムを買ったり、前川紘毅さんやJONTEさんの曲をiTunesで買ったりして聞いていたら、何故か、堂珍くんの苦手なソロ楽曲も素直に自然に聴けるようになりました(使用前、使用後)。
 
 ケミばっかきいてたからじゃんwww
 
 といってしまえばまさにその通り。他のを聞くつもりはない、なんてことはなく、ただひたすら彼らの声をいつも聞いていたかったわけですが、それじゃあ、ファンも(?)行き詰まるし、劣化するんですよね。

 最近は、ケミちゃんたちのソロは、他のミュージシャンの人とまぜこぜシャッフルにして聴いています。
 ケミちゃんたち以外の曲は、過去に聴いていたものをまた聴くのも良いし、ライブイベントで一度きいて、良いなと思ったミュージシャンの曲を、少しずつiTunesで買ったりしています。
 多くは買えないけど、視聴して選んで実際に買う。そして聞き倒す。一曲買えば、ずっとちゃんと何度も聴けるんです。これが何だかすごく楽しいです。(視聴してるとアルバム買いたくなりますが、なるべくミュージシャンの種類を増やしたいので、しばらくは我慢。)慌てる必要もないし。


 というわけで、私はケミロスに気づき、だいぶ克服したような最近です。好きな音楽をきくのに悩まなくていいし、人と同じように楽しむ必要もないです。それは最近好きになった外国映画やドラマでも同じで、すでに騒いでいる人たちと同じような騒ぎ方をしようとしていたら、息切れしてついていけなくなります(というのも最近気づいた)。
 
 そんなこと理屈ではわかっていても、なかなか感情がついていってなかったわけです。CHEMISTRY活動休止のときに、「ソロは応援しない」という判断をした人が当時はわかりませんでしたが、いまとなっては、それも正しかったのだなと思います。

 好きなものを受容するキャパを拡大するというのは、獲得ばかりではなくて、喪失も経ないとだめなんすかね。あぁ人生かな。


 すこし補足。ソロになって堂珍くんは汚れ目?に、要さんはかわいい☆めになっていて、私は、柔和な要さんが割と好きです。でも根っからの要ファンからすると、それはちょっと違う…となる様子。人間生きていれば色々印象は変わりますが、スターや芸能人はやっぱり大変なのだな〜…と自分のことを棚に上げて思います。


 おっと、しつこく最後に。やっぱりCHEMISTRYは私のなかではずっとActiveだし、ベストだし、群抜きだし、ずっと何回でも生きる栄養で活力です、ということを最終的には再確認しております。


0 件のコメント: